政策相場からファンダメンタルズ相場への移行
手元にあるジョン・メイナード・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』は403ページにわたりますが、「アニマル・スピリット」への言及はわずか2回です。それでも、投資家の行動を理解するにはこの概念が不可欠です。ケインズは、「積極的活動の大部分は、とにかく数学的期待値のごときに依存するよりは、むしろおのずと湧きあがる楽観に左右される。」と主張しています1。言い換えれば、多くの人は関連情報をすべて入手できなくても、何もしないよりは、むしろ何かをしたがるということになります。
ケインズは「狂騒の20年代」を経験した後に、このアニマル・スピリッツという考えを提唱しました。米国経済が回復の予想から兆候に移行する中で、この言葉を心に留めておくのは特に大切になるでしょう。足元の政府からの寛大な給付金等により家計、企業、州政府、地方自治体はすべて歴史的な水準の資金投入の態勢が整っており、経済は一斉に急成長期に入るとみられます。しかし、この成長は予測不可能であり、経済はすでに成長の痛みを経験しています。供給網のストレス、労働者不足、需要の急増は、まだ受け入れ能力を増強しようとしている段階の経済に大きな圧力をかけています。
現在の景気サイクルの初期段階では、経済指標や投資家心理における変動の激しさを受けて若干不規則な状況が続くとみられる理由について、今月は議論します。このサイクルが今後12ヵ月でどう展開していくかの展望と、現在の流動性に支えられている相場が、より困難な状況下でファンダメンタルズ主導の相場に移行する場合の資本配分について概説します。
不確実性とアニマル・スピリッツの中での「正常化」
引き続き底堅い景気回復が予想されるものの、行く手は完全に平坦とはならないでしょう。最近発表された経済指標が立て続けに予想を大幅に割り込んだことが何よりの例です。これらのサプライズは、相当に異常で不均一な昏睡状態が続いた経済が急に揺すり起こされた場合にどう反応するかを予測することは困難であることを物語っています。
大きな驚きをもたらしたリアリティチェック
皮切りとなったのは4月の雇用統計で、新規雇用者数が事前予想を73.4万人も下回りました(図1参照)2。連邦準備理事会(FRB)のリチャード・クラリダ副議長は、これを「過去最大の未達」と呼びました3。わずか数日後、4月の総合消費者物価指数(CPI)は前月から0.8%と目を見張るほどの上昇となり、予想を大幅に上回りました(図2参照)。そして、5月には消費者センチメントが急降下し、最も悲観的なアナリストの予測さえも大きく下回りました。
仮に景気回復に関連するデータのサプライズがこれらの報告に限られたとしても、こうした事前予想に対するブレ幅の大きさは投資家やアナリストを混乱させました。最終的には、需要と供給の均衡を見出す価格へと調整される中で不均衡は解消されるでしょう。一方で、マクロ経済の各方面で変動性が高まることが予想されます。
出所:労働統計局(BLS)およびブルームバーグ(非農業部門雇用者数は2021年5月7日時点、総合CPIは2021年5月12日時点)。「サプライズ」は、BLSの速報値(改定前)とブルームバーグのコンセンサス予想の差を指しています。
不確実性は後退、次の展開に注目
データの乱高下は市場行動に影響を及ぼし続けるでしょう。ケインズが指摘するように、行動を促す自発的な衝動に拍車をかけるのはアニマル・スピリッツであって、測定された数値を基にした定量分析から予測された結果ではありません。投資家は短期のノイズに惑わされずに、足元の景気回復の始まり数ヵ月間の後に訪れる景気動向に注目するべきだと考えます。
「成長のピーク」へ、そして、その先にあるもの
今回、上昇したものは下落することでしょう。今後12ヵ月のある時点で、ほぼあらゆるものの成長率が天井を打つと見込まれます。歴史的な成長率となった財政支出、金融緩和、個人支出は鈍化し、成長は自律的な拡大に移行していくでしょう。
金融政策の次の段階
FRBのバランスシートは、量的緩和(QE)の再開を受けて、この1年間で大幅に拡大しました。この金融政策によって経済はキャッシュであふれ、資金供給量が劇的に拡大しました。私が「無料の流動性」と呼んでいる大量の金融緩和資金、すなわち、「実体」経済の1つの指標である工業生産を上回る資金が供給されたのです(図3参照)。しかし、この種の成長は永遠には続きません。金融政策は最終的に資産購入の縮小についての議論(最終的には実施)に移行し、その後短期金利の引き上げが実施されるでしょう。
図3:「無料の流動性」とFRBの総資産
(100万米ドル)
出所:連邦準備制度理事会、ブラックストーン・インベストメント・ストラテジー、2021年3月31日時点。「無料の流動性」はマネーサプライM2指標の前年比上昇率から工業生産の前年比成長率を引いたものです(ともに季節調整後)。「総資産」はFRBの保有資産総額から連結消去を引いた差で、季節調整はされていません。破線は表示されている期間における各系列の過去平均への回帰を示しています。
前倒しされた財政政策の終焉
バイデン政権は1月に成立させた1兆9,000億ドルの米国救済計画に加えて、米国雇用計画(AJP)と米国の家族のための計画(AFP)への4兆ドル以上の財政出動を提案しました。しかし、法案が可決された場合でも、議会勢力のバランスを考えると難航するとみられ、数兆ドルが実際に投入されるには8~10年かかるでしょう。
たとえば、インフラ支出は性質上、ある年に予算が成立しても実際に工事が始まるまでにかなりの時間がかかるのは珍しいことではありません。2020年5月の記事 で説明したように、「すぐに着工できる」計画はしばしば、承認を待つ間に何年も保留となります。非常に野心的なインフラ計画でも、パンデミック中に行われたような大規模な政府からの支出移転と同種の即時的な景気刺激効果をもたらすことはできません。
貯蓄と支出は別々の道を進む
ここ数ヶ月間、消費者の貯蓄と支出が同時に増加してきましたが、これは永遠には続かないでしょう(図4参照)。消費者は積みあがってきた超過貯蓄の一部を切り崩し、商品やサービスの消費支出を一時的に増やすと予想されます。しかし、貯蓄のストックが高止まりするにしても、経済への信頼が回復するにつれて貯蓄率は通常の水準に戻る公算が高いでしょう。また、最近発表された4月のデータを見ると、コロナ不況に対応した刺激策による給付金の威力なしに2020年5月、2021年1月と3月に見られたような小売売上高の急増を再現するのは困難なようです。
図4:個人の消費と貯蓄
(1兆米ドル、年率季節調整後)
出所:経済分析局、2021年3月31日時点。
流動性相場からファンダメンタルズ相場への移行
歴史的な成長率のピークを迎える流動性と財政支出に代わって、ファンダメンタルズが市場価値と経済成長を動かすようになるでしょう。この移行により成長の速度は鈍化する一方で、「自律的」なものとなります。ここでいう「自律的な経済」は、(政府ではなく)消費者と企業の支出が需要を喚起する、(給付金ではなく)賃金から家計の収入がもたらされる、金利が(金融超緩和政策ではなく)リスクに対する対価とターム・プレミアムを反映する、状態を指します。
3…2…1…、離陸
このような自律的な離陸は、米国経済の世界金融危機からの回復期にはみられませんでした。失業率は最終的に過去最低水準に低下したものの、インフレ圧力が戻ることはありませんでした。その結果、FRBは何年もの歳月をかけて量的緩和を段階的に縮小し、ようやく利上げに転じたときには米国経済の拡大局面は7年目に入っていました。それでも、FRBは数年後に利上げを軌道修正させなければならず、経済は金融政策なしには回復軌道に乗れなかったことを物語っています。
金融緩和環境と信用スプレッドの縮小が持続し、史上最長の上昇相場となりました。流動性主導で10年間続いた強気相場は、低い借入コストで資金が潤沢に回る、投資家にとっても企業にとっても快適な環境でした。あらゆる資産クラスが平均以上のリターンを記録し、ダーウィン主義者を寄せつけませんでした。ちなみに、前回のサイクルでは、世界中で収益ゼロの企業の数が過去最高を記録しました。
今回は、消費者や企業のバランスシートの手元資金が景気の離陸を間違いなく実現するでしょう。FRBは前回のサイクルよりはるかに早く資産購入規模を縮小し、利上げの目標を達成する公算が高いと言えます。また、インフレ率は、前回のサイクルよりも高止まりすると考えられます。
次の段階:ファンダメンタルズとフリーキャッシュフロー
物価と利回りが上昇する一方で政策支援が減少すると、企業のファンダメンタルズが再注目され、すべてが良好なパフォーマンスになることを期待する特定の「ベータ」戦略がリスクにさらされることになります。この変化では、パフォーマンスが芳しくないプレイヤーが隠れられる場所が少なくなります。低い資本コストにすがって生き延びてきた企業が苦境に立たされる中、企業間の格差が再び台頭するでしょう。しかし、このような新しい環境は、資本投下にも幾分のチャンスをもたらします。
投資環境の変化に対応するためのゲームプラン
構造的なテーマが勝敗を分ける中、これらに強い確信を持つ目の利く投資家が恩恵にあずかるでしょう。今後12ヵ月間にポートフォリオに関して下される決定は、前回のサイクルでの無制限の政策支援、過剰な流動性、永続的に低い金利といった想定に基づくべきではありません。ファンダメンタルズ主導の景気回復局面が定着すると、ファンダメンタルズが経済や市場全体に様々な影響を及ぼします。
例えば、インフレ期待とFRBによる量的緩和の終了を受けて金利が上昇することは、平均的な借り手にとって資本コストが上昇することを意味します。この変化は、企業の超低金利債券の発行能力に影響を与え、特にファンダメンタルズが弱い企業への影響は顕著となるでしょう。同時に、投入物価と賃金コストの上昇が、価格決定力の限られているセクターを筆頭に、利益率を圧迫することになります。S&P500種指数の構成企業の利益率は2021年第1四半期に過去最高を塗り替えましたが、上述の逆風が組み合わさって、多くの企業、特に価格設定力が限られている企業では、これまで以上の利益率拡大が困難になると考えられます。
また、インフレ率が上昇すると、イールドカーブのスティープ化が、名目でも実質でもさらに進むことになります。このスティープ化により長期キャッシュフローの割引率が上昇し、投資家に何年も資本を還元しない、リスクの高い企業のリターンが低下します。投機的なハイテク株が3月半ばの暴落を主導した直後、4月の消費者物価指数がサプライズとなったのが良い例です。一方、現在キャッシュが勢いよく流れ込んでいるセクター(不動産など)や、高金利環境の恩恵を受けるセクター(金融など)は、パフォーマンスが比較的良好となる可能性があります。
結果として起こる首位の交代は、グロース対バリュー、あるいはより具体的にはテクノロジー対金融といった議論を超えたものになるでしょう。それを受けて、どのセクターであっても、フリーキャッシュフローを増やすことができる企業や資産へのエクスポージャーが重要になります。私の考えでは、合理的な価格でキャッシュフローの増加を実現する資産は、それがニューエコノミーと見られようが、オールドエコノミーと見られようが、アウトパフォームするでしょう。
不確実性が高い中でも確信を持ちづづける
私たちのチームでは、満員電車のように押し合いへし合いとなりかねない今後2~3四半期に備えて、ベルトをしっかり締めています。特に、ニューヨークのオフィスに戻る喜びを感じる今、それが真っ先に頭に浮かびます。今後数ヵ月は、ケインズの説いたアニマル・スピリッツが経済を突き動かす中で、市場パフォーマンスや経済データの見通しは不確実性が高まるでしょう。しかし、今後の回復の力強さを信じ、ファンダメンタルズに焦点を再び定める投資家は、その忍耐と目利きが報われると考えます。
- John Maynard Keynes, The General Theory of Employment, Interest and Money, 1936.
- Bureau of Labor Statistics and Bloomberg, as of 5/7/21. Reflects the difference between the initially published (i.e., non-revised) nonfarm payroll employment number and the Bloomberg consensus forecast.
- Reuters, as of 5/12/21. https://www.reuters.com/article/us-usa-fed-clarida-idINKBN2CT1PE
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Market Insights 和訳版
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